2009年06月17日

角笛(つのぶえ)とは、動物の角で作った笛のこと

角笛は動物の中空になった角(その多くは湾曲した円錐形)を使った笛で、主に合図(一種の通信)のために大きな音を出すことを目的とする。例えば、自動車のホーン(クラクション)が、この性質を受け継いでいる。しかし楽器として考えると、旋律を奏でるための指穴などは持っておらず、したがって基本的には、1つの音高しか出せないなど、大きな制約がある。それでも、非常に古くから利用されてきた楽器であることから、神話や民話にしばしば登場し、また近代以降のファンタジー文学にも様々な力を持つ角笛が登場したり、現代のコンピュータゲームなどにも何らかのアイテムなどの形で登場することがある。

角笛は、ヨーロッパから中東に至る広い地域に見出せる。日本では法螺貝などの似たような笛も存在するが、角笛そのものはあまり見られない。
バンジージャンプ
地球温暖化
体外離脱
白血病
花見
VDT症候群
元素周期表
油彩画
民話
翻訳
賃貸借
水上スキー
漢方薬
スキー
心療内科
妖怪
血液学
近畿地方
ウエストナイル熱
中国地方

ツィンクのように角笛を起源とする楽器(旋律を奏でられるよう、音高を比較的容易に変化させられるように工夫された笛)も見られ、この角笛の一部は管楽器へと変化していったと考える事もできる。ただし後の管楽器は、大きさが不揃いな動物の角よりも、加工しやすい木や丈夫な金属を使ったものへと変化していったとも考えられ、角笛を語源とするホルンやコルネットと言った金管楽器は、その語源とは無関係な形状へと変化している。

2009年05月31日

呉乞買

呉乞買(うきつばい、女真音:ウチマイ)は金の第2代皇帝(在位1123年 - 1135年)。太祖阿骨打の同母弟。長兄に烏雅束(ウヤス)、伯父に劾者(ヘテェ、劾里鉢の長兄、烏古廼の庶長子)、高宗・盈歌(インコ)は季父(末の叔父)に当たるという。嫡子の阿魯(あろ、女真音:アル、中国名は宗磐・宗本)ら数名の息子がいる。
アロマ ファッション 外国語 宿泊施設 通信教育 地域情報 しみ取り 投資 コスメ 設計施工 生活雑貨 アロマ 自動車 美容整形 スポーツ 語学 自動車 生涯学習 キャンプ場 美容整形 産業 審美歯科 クレジット 防犯 探偵 運勢 審美歯科 ペット 老人 家電 音楽 海外 寝具 教材 関東 健康 動物園 美容整形 不動産 生命 趣味 クレジット 審美歯科 生活雑貨 老人 健康食品 専門学校 信越北陸 セミナー 公園

兄の太祖が存命中はその補佐に当たり、兄の死後に第2代皇帝として即位した。即位後、兄が北宋と結んだ盟約に従って遼を攻撃し、1125年に最後の皇帝天祚帝を捕らえてその命脈を絶ち、内モンゴルを支配下に置いた。だが、彼は寛大で人格者だった兄と違い、勇猛果敢で果断や実行力に富んだ性格のために、燕雲十六州の奪還を目指す宋軍が燕雲地方に駐留する金軍を牽制する動きの情報を知った呉乞買は激怒した。1126年、逸早く直ちに北宋との戦端を開いて首都開封を包囲した。この戦役は宋軍がよく持ち堪えたため呉乞買は宋の欽宗と講和を結び、引き揚げた。だが、宋が再び盟約で約束されていた歳貢も滞ったため1127年に再び宋を攻めて開封を陥落させ、欽宗とその父で上皇の徽宗を北へと連れ去って北宋を滅ぼした。

外モンゴルに逃れた遼の残存勢力耶律大石が中央アジアに逃れた後は、モンゴル高原に対しても勢力を伸ばし、隣接する西夏や高麗に対しても圧力をかけて服属させた。太宗の時代に金は版図を急速に拡大し、国力を著しく増強させた。

しかし、いまだ部族制の原理がよく残った女真社会において皇帝としての呉乞買の権力基盤は完全なものではなく、子の阿魯ら自分の血筋への世襲は同族の長老らの猛反対を受けたので、止むなく兄の太祖の嫡孫に当たる熙宗に皇位を譲った。

2009年04月27日

軌道要素

軌道要素(きどうようそ)とは、惑星や彗星、あるいは人工衛星のようにある天体の周囲を公転する天体の運動する軌跡(軌道)を指定するために使用されるパラメータである。

ある天体が重力によって公転する場合、その軌道は重力源となる天体を1つの焦点とする二次曲線を描く。二次曲線の形状を指定するためには、2つのパラメータが必要である。

また、さらにその軌道が存在する平面を指定するために2つのパラメータが必要である。 その平面上での軌道がどちらの方向を向いているのかをさらに指定するために1つのパラメータが必要である。

それから、天体がある時刻に軌道上のどの位置に存在するのかを指定するために、少なくとも1組の時刻と軌道上の位置のデータが必要である。

天体の軌道の決定とは、その天体の観測位置をもっとも良く説明できる軌道要素を導き出すことである。軌道の形状、平面、向きを定める5つの独立したパラメータを求めるためには、5つの独立した観測データが必要である。 1回の観測で赤経、赤緯の2つの独立した観測データの組が得られる。そのため、軌道の決定には少なくとも3回の観測が必要である。しかし短期間の間の3回の観測では誤差が大きくなる。

パラメータにはいくつかの選び方があり天体の種類などによって使い分けられている。

健康・多汗症関連最新の医学検索エンジン
花・贈り物関連通販ガイド
専門学校・学習関連教育学び検索エンジン
ホテル・キャンプ場関連宿泊ガイド検索エンジ
プチ整形・美容整形関連スキンケア検索エンジン
キャッシング・金融関連ビジネスオンラインサイト
育児・ブライダル関連ライフレシピナビ
薄毛・リフレクソロジー関連健康づくりナビ
飲料水・教材関連おトクにショッピングガイド
外国語・語学関連教育ジャンプサーチ

軌道長半径(a)
楕円軌道において長軸の長さの半分である。放物線軌道では無限大、双曲線軌道ではマイナスになってしまうので使用できない。このため彗星では別のパラメータを使用する。
軌道短半径(b)
楕円軌道において短軸の長さの半分である。あまり使用されない。
近点距離(q)
重力源となる天体の重心と軌道が最も接近する位置(近点)との距離。太陽を周回する天体においては近日点距離、地球を周回する天体では近地点距離となる。
遠点距離(Q)
重力源となる天体の重心と軌道が最も離れる位置(遠点)との距離。太陽を周回する天体においては遠日点距離、地球を周回する天体では遠地点距離となる。放物線軌道では無限大、双曲線軌道ではマイナスになってしまうので使用できない。
離心率(e)
真円の軌道では0。楕円軌道では01。観測データが少ない小惑星ではe=0、彗星ではe=1を仮定して軌道要素の計算が行なわれることがある。楕円軌道ではq=a(1-e)、Q=a(1+e)の関係が成り立つ。
周期(P)
軌道を一周するのに要する時間。ケプラーの法則により軌道長半径aと直接関係する。放物線軌道では無限大、双曲線軌道では虚数になるので用いない。
平均運動(n)
人工衛星では1日あたりの公転数。小惑星や彗星では1年あたりの公転角度で表し、さらに1日あたりに換算したものは平均日々運動という。

2009年04月12日

トップをねらえ2!

「ノノリリ」なる人物に憧れ、宇宙パイロットになることを望む主人公・ノノと、バスターマシンを駆り宇宙怪獣達から太陽系を守る超能力少年少女「トップレス」の一人である少女・ラルクの物語。

登場人物 [編集]
プロフィールはドラマCDのジャケットより

フラタニティ [編集]
ノノ
声 - 福井裕佳梨
【性別:女 / 年齢:17歳(外見) / 身長:172cm / 体重:49kg / 血液型:AB型 / 好物:日本茶 口癖:なぜならば!】
主人公。見た目は人間そのものだが、実はナノマシンによって構成されたアンドロイドであり、その正体はバスターマシン7号。自称火星のマリネリス峡谷育ち。以前の記憶が無く、「ノノリリ」なる人物に憧れて「ノノ」と名乗っている[1]。
ノノリリに憧れ、宇宙パイロットになるために街へ出る。ラルクを「お姉さま」と呼んで慕っている。また、ピンク色の髪と一際大きなアホ毛が特徴。
背はラルクより高いが、その言動の幼さから誰もが子供扱いし、またナイスバディにもかかわらずまったく色気がない[2]。
体はナノマシンによって構成され、炭素系物質をエネルギー源としているが、普通の食料として摂取する必要があり、味覚センサーも存在するため腐ったものや不味いものは受け付けない。取り込んだものは体内で分解・燃焼させ熱エネルギーとし、活動と欠損部分の修復に当てている。余剰エネルギーは電力として蓄えられ、宇宙空間での活動に利用される。体温や肌の質感までも人間のそれと変わりなく、おまけに不要物質の排泄機構まで備えており、限りなく人間に近くなっている。しかもフラタニティのフラタニティ外郭団体の精密なチェックを通してもバスターマシンであることを見抜けなったことから、その精巧さが伺える[3]。

ラルク・メルク・マール
声 - 坂本真綾
【性別:女 / 年齢:17歳 / 血液型:A型 / 好物:ココア / 気になること:ニコラの心情】
火星上空の衛星基地メガネビュラに所属する「最強のトップレス」。ディスヌフの現パイロットで、撃墜スコアはトップ。物質を量子化して転送する技術に長けており、ふだんはディスヌフを呼び寄せるのに使っているが他の物体を転送して敵を攻撃したりすることも可能(第5話では雷王星の中心核を変動重力源に直撃させた)。
宇宙パイロットに憧れるノノに「お姉様」と慕われている。ノノによるとラルクは「ノノリリによく似ている」のだが、ラルク自身は努力とか根性などを信じないタイプ。
エグゼリオ変動重力源出現時での戦闘により「星を動かすもの」と呼ばれ、バスターマシン7号不在下で人類を救うべき英雄になった。最終決戦ではドゥーズミーユに搭乗して出撃するが、ダイバスターに八つ当たり(?)している最中に「あがり」を迎えてしまう。変動重力源の攻撃で苦しむダイバスター(ノノ)の声を感じ取ったのか、動かなくなったディスヌフの人工頭脳内にある「真の操縦席」に移動し、真・ディスヌフ=バスターマシン19号を復活させた(この時操縦席には、宇宙帝国地球軍のマークの入った体操服入れがあり中には前作キャラが身に付けていた衣装とデザインの少し違う後期のものが入っていた、ラルクは操縦席でそれに着替え最終決戦に臨んでいる)。ダイバスターを放棄して再び出現した7号とともに変動重力源を撃破、ついでにブラックホール・エグゼリオまで破壊してしまう。
10年後、野生生物の調査を行なう学者となり[4]、ヤンバルクイナの現地調査に当たっていた。七夕の夜、その場所で伝説の女の子・ノノリリの帰還に立ち会うことになる。
名前の由来は、フランス語の虹を意味するラルク・アン・シエルから[5]。
チコ・サイエンス
声 - 沢城みゆき
【性別:女 / 年齢:13歳 / 血液型:O型 / 好物:アイスキャンディー / 宝物:初恋の思い出ピアス】
幼いながらも撃墜数2位の新鋭で次期エースと目されている。ラルクをライバル視しており、スコアで勝つことを至上の目標としている。
性格的にはまだまだ子供でワガママだが、意外に見るところは見ている。トップレスの中で唯一、カシオを泣かせながらも仲がいい(この擬似兄妹的なつながりは、時々重要な役割を持つ)。
小さい頃に好きだった男の子を病気で亡くしており、その時に何もできなかった自分を責めると同時にトップレスの能力について疑問を抱いている。
だが、ある戦闘をきっかけにそれを克服し、トップレス達のムードメーカー的存在になる。バスターマシンはソワサンシス。その後大破したことを期にキャトフヴァンディスに乗り換える。
10年後、プロの宇宙パイロットとなり[4]、外交団の護衛でシリウスまで行くところだった。この場面ではノノがトラントロワを求めて訪れたときとは違い、カロン宇宙港には人があふれ、窓の外では多数の宇宙船が飛び交っている。このシーンは人類がワープ技術を取り戻し、再び太陽系外に進出を始めたことを物語っている。
名前の由来は天文学者のティコ・ブラーエと、ブラジルのミュージシャンのシコ・サイエンスから[5]。
カシオ・タカシロウ
声 - 山崎たくみ
【性別:男 / 年齢:38歳 / 血液型:A型 / 好物:缶チューハイ / 趣味:プラモデル作り・カメラ】
元トップレスでディスヌフの前パイロット。今は作戦の指示やトップレス達のケア、世話役をしている。一応肩書きだけは「コーチ」だが、トップレスたちからはかなり軽んじられている(なぜかチコとだけはわりと親しい)。
現在の風貌からは想像できないほど優秀なトップレスだったが、「あがり」を恐れるあまり、能力があるうちに自ら虚偽のあがりの申請してわずか2年半でトップレスをやめた。しかし3年連続でトップスコアをたたき出し、しかも最後の1年間はたった半年でトップスコアを獲得しており、過激な戦闘スタイルとあいまって現役時代に暴れ馬と呼ばれる伝説を生み出すほどの存在になっていた。
第4話で双子を探ろうとしたため辺境の分室に飛ばされ、チコから連絡を受けて「古い戦友」であるトラントロワの元へノノを送る。しかしその真意は、自分がトラントロワを動かすことで、一度は逃げたトップレスに返り咲くことだった。しかし、トラントロワはすでに白骨化し、当然ながらカシオのトップレスとしての力も失われていた。
力が失われていたことを認めた後、バスターマシン整備公社の一整備員として再就職した。
また、彼はなぜかディスヌフの秘密(人工知能内部にバスターマシン19号本来のコックピットが搭載されていること、縮退炉を使えば19号本来の力を取り戻せること)を知っていた。
名前の由来は日本の時計メーカー、カシオ計算機から[5]。
ニコラス・バセロン
声 - 岩田光央
【性別:男 / 年齢:18歳 / 血液型=B型 / 好物:甘い缶コーヒー / 趣味:超合金フィギュア収集】
通称「ニコラ」。双子と並んでトップレス達のリーダー的存在。一見飄々としているが、内心では成長と共にトップレスの能力がなくなる「あがり」を極端に恐れており、戦闘では能力を消費しないよう極力他人を利用する戦い方をする。「あがり」を抑える秘密を知っているらしい双子の言いなりで、また「あがりの噂」を信じ、ラルクとキス以上の行為に及ぼうとはしないが、興味はあるようでセクサロイドで自慰を行なっている[6]。バスターマシンはヴァンセット。
タイタン変動重力源の猛威で自らのトップレスとしての存在を否定された上に双子の死と「あがり」が訪れた為に自暴自棄となり、ノノを暴行しようとして逮捕される結末となってしまった。服役後は宇宙軍に所属、皮肉にもかつては見下していたハトリ大佐の部下として研修兵となり、タバコまで喫っている。
名前の由来は、スイスの時計メーカーであるヴァシュロン・コンスタンタンから[5]。
サーペンタイン姉妹
声 - 小林沙苗(姉)、松岡由貴(妹)
【性別:女 / 年齢:自称18歳 / 血液型:B型 / 好物:タイタン蟹 / 備考:秘密サークル「蛇の池」メンバー】
姉のピアジェと妹のルクルトの双子姉妹。トップレス全体の指導者的存在であり、一目置かれている。「2人で1人」の存在であり、2人が一緒であることによりトップレスの能力を発揮できる。(双子のキャラなので)当然、双子座。
軍人や政治家に跨る「秘密サークル」を主宰し、怪しい活動を繰り広げている。ニコラ、トランシスの前パイロットもサークルメンバー。その目的はフラタニティ、果てには銀河政府を牛耳る事とも。
基本的には「2人がいつまでも一緒にいるため」に「永遠に続くトップレス」の追求を目的としている。双子の乗機である「カランドゥ」は本来封印された40番台の機体であり、それを与えられている事自体双子の権力のほどを伺わせる。
しかし、彼女らの実年齢は本来なら「あがり」を迎えているはずの20歳を超えており[7]。彼女らが好んで食べていた「タイタンガニ」は実はタイタン変動重力源の肉そのものであり、それを食べるなど生体実験に近いことを繰り返してきた為らしい。全身を覆うスーツや厚化粧で隠しているものの、生身の体は実験の結果として凄まじい状態になっているという。実年齢については禁句で、これに触れたカシオは辺境の分室に飛ばされた。
タイタン変動重力源を数万年生きたトップレスだと解釈しており蘇生させて助けを得ようとしたが拒絶され、返答代わりのエネルギー弾の直撃によって機体ごと爆死する。
名前の由来は、スイスの時計メーカー・ピアジェとジャガー・ルクルトから[5]。
ルウ・スン
声 - 甲斐田裕子
【性別:女 / 年齢:18歳 / 血液型:A型 / 趣味:着せ替え人形・イラスト(他人には秘密) / 最近ハマッているもの:ゲーセンのぬいぐるみ集め】
中国系。アステロイド西方星区マグノリア基地区所属の、バスターマシン「カトルヴァンヌ」のパイロット。投げ簪(かんざし)の名人で意外に人形好き。双子の姉がおり、多少だが予知能力も持つ。
名前の「スン」は中国語でアスパラガスのこと[5]。
ニャーン・ヌォク・チャム
声 - 本名陽子
【性別:女 / 年齢:15歳 / 血液型:B型 / 趣味:漫画 / 最近ハマッているもの:ディベート】
ベトナム系。金星ダーリング基地所属の、バスターマシン「トランシス」のパイロット。大学に飛び級で入学、院に上がり評価の高い論文を上梓していた秀才。先代の「トランシス」のパイロットを過剰に意識しており、トップを狙っていた。そのせいか、ラルクが首位なのはノノが宇宙怪獣を呼び寄せるからだとノノに冷たい言葉を浴びせる。グルカと「治療」の約束をするも[6]、タイタン変動重力源との戦闘時の攻撃によって戦死する。
名前の「ニャーン」はベトナム語で竜眼のこと[5]。
シトロン・リモーネ
声 - 小林ゆう
【性別:女 / 年齢:O型 / 血液型:18歳 / 趣味:ツーリング・ヘビメタ / 最近ハマッているもの:献血】
フランス系。ダーリング基地所属のバスターマシン「ソワサント」のパイロット。元不良でヘビメタ好き。ラルクとは研修生時代、夏季訓練キャンプで同期生となる。当時、ディスヌフのパイロットになりたかったようで、その最有力候補であったラルクをライバル視していた。ラルクの言動を「優等生」と評し、本音を隠していることを見抜いていた。
名前の「シトロン」はイタリア語、「リモーネ」はフランス語で、それぞれレモンのこと[5]。
ゴウヤ・レイシ
声 - 佐々木望
【性別:男 / 年齢:18歳 / 血液型:A型 / 好物:コーラ / 好きな言葉:天上天下唯我独尊】
日系。ダーリンング基地に所属する、バスターマシン「ヴァンドゥ」のパイロット。真面目過ぎるのが玉にキズ。実はむっつりスケベで、ベッドの下に「プレイボーイ」を隠している。
名前の「ゴウヤ」は沖縄方言、「レイシ」は日本語で、それぞれニガウリのこと[5]。
グルカ・ククシス
声 - 小林希唯
【性別:男 / 年齢:14歳 / 血液型:B型 / 好物:チョコレートケーキ / 最近の趣味:エッチなこと・最新ゲームソフト】
インド系。ダーリング基地所属のバスターマシン「カトルヴァンセ」のパイロット。バスターマシンパイロットの中でも年少クラスであり、それ故に性格も幼い。それが災いしてニャーンが撃墜された後、激昂して暴走。タイタン変動重力源に土星の衛星・ハイペリオンをぶつける「バスター岩石落とし」をかけようとするが、果たせず死亡。任務完了後にニャーンと「治療」の約束をしていた[6]。
名前の「グルカ」はスウェーデン語できゅうりのこと[5]。
パシカ・ペシカ・ペルシクム
声 - 伊藤静
【性別:女 / 年齢:17歳 / 血液型:O型 / 好物:エッグタルト / 趣味:エステ・長風呂・長電話】
イタリア系。アステロイド東方星区ミイメイ基地所属の、バスターマシン「ソワンテアン」のパイロット。普段はお気楽なお嬢様。激昂して暴走するグルカを制止しようとしたが巻き添えを食らってしまい、戦死。
名前の「ペスカ」はイタリア語、ペルシクムはラテン語で、それぞれモモのこと[5]。
カトフェル・パタタ
声 - 園部好?
【性別:男 / 年齢:18歳 / 血液型:A型 / 好物:肉類全般・ポテト / 趣味:映画鑑賞・マンガ】
スペイン系。ミイメイ基地所属のバスターマシン「サンカンサンク」のパイロット。見た目どおりにガキ大将タイプな性格だが、本人はそのことを気にしている。また肥満体にもかかわらず、意外にもスポーツ万能[6]。またロイとは仲が良い。
名前の「カトフェル」はドイツ語で、「パタタ」はスペイン語でじゃがいものこと[5]。
ロイ・アニャン
声 - 陶山章央
【性別:男 / 年齢:16歳 / 血液型:B型 / 趣味:鉄道模型のレイアウト / 得意技:お金で全て解決】
韓国系。ミイメイ基地所属のバスターマシン「サンカント」のパイロット。カトフェルの太鼓持ちと見られているが、実際は普通に仲が良い[6]。カトフェルやゴウヤは彼の死を嘆いていた。財閥の御曹司なため非常に裕福で、「サンカント」も実は親に買ってもらった(「一番大きいのがいい」が理由)。
タイタン変動重力源の攻撃によってサンカントごと轟沈。残骸はタイタンに突き刺さっている。
名前の「アニャン」は英語でタマネギのこと[5]。
ヴィータ・ノヴァ
声 - 生天目仁美
ワシーリ・イワノビチ
声 - 近藤隆
2人とも公募のキャラクターコンテストで大賞に選ばれたキャラクター。第6話の乱戦シーンにそれぞれ1シーンずつのみ登場。ヴィータのバスターマシン「トランサン」、ワシーリの「ソワサンドゥ」もやはり公募デザイン。
他の入選キャラクターも第6話の記念撮影シーンにモブとして登場した。

ロール ラズベリ ジュニア つじばしゃ リンドウ ツーショット MIX サイバー ジオン ショート ネクトン タイムカプ 大和撫子 ダッフ マタニテ みなのがわ モットー アクア フレクター リッパ 新緑 ハイパー ひろさき ジョン 春夏秋冬 スライン じゅんぼ スンデ ピストル 大和 フィブロ はしげた カバロール ユーモア ネス メロデ イヌコ シリビン メラノ タニリ スパイシー 決意 はちりゅ ピンハ マテバ 飛騨紅 ルース べびーぽ テクス クロロキン

2009年03月28日

菌類の分類体系には手が入り続けている

現在、菌類の分類体系には手が入り続けている。2007年に見直された分類体系では子嚢菌門、担子菌門、ツボカビ門、Blastocladiomycota門、ネオカリマスティクス門(以上の三門が旧ツボカビ門)、グロムス菌門、微胞子虫門、および門としての分類の難しい4亜門(主に旧接合菌門に由来)に分類されている(Hibbett et al. 2007 [1])。

生態系における菌類 [編集]

分解者としての菌類 [編集]
菌類は栄養を吸収するために、酵素によって他の動植物を構成する高分子を分解している。 特に、セルロース、リグニン、コラーゲンといった他の生物にとって分解の難しい高分子を炭素、窒素、リンの低分子化合物に分解することができるので、それらの物質を生態系のサイクルに戻す分解者としての役割を担っている。

たとえば、森林内では生産者である植物の現存量は、そのかなりの部分が、消費者に回る前に材や落葉などの枯死(こし)部分として蓄積される。これら植物遺体は主成分がセルロース、リグニンであり、窒素、リンなどの含有量が少ない。そのため多くの動物はこれを直接利用することができない。しかし、これを菌類が分解し、なおかつ周囲から無機窒素化合物などを吸収してその体を作ることで、動物は植物遺体と菌類を同時に摂取し、それを餌として利用することが可能になるのである。

共生 [編集]
菌類は他の生物の病気の原因となるが、その一方、多くの菌類が他の生物と共生している。

地衣類は菌類と緑藻やシアノバクテリアとの共生体である。維管束植物の根と菌類との共生によって形成される器官は菌根と呼ばれる。菌根は植物が水分や養分を吸収する上で重要な役割を果たすことがあり、菌根の種類によって植物に対して主としてリンを供給するものや窒素を供給するもの、さらには有機物を供給するものも知られている。また,土壌病原菌から植物を防御する機能を持つ場合もあると推測されている。一方、菌類の側は植物から同化産物を供給されている。種子植物ではラン科やイチヤクソウ科、シダ植物ではマツバラン科やハナヤスリ科、ヒカゲノカズラ科の植物は発芽の初期に特定の菌類との共生が成立しないと生育できない。植物の葉などの組織内に共生している菌類は内生菌(エンドファイト)と呼ばれ、その機能についてはまだよく分かっていないが摂食阻害物質等の生成に寄与していると考えられるケースが知られている。アーバスキュラー菌根という型の菌根は陸上植物のひどく広範囲に見られるもので、やはり植物にとって有用な栄養素等の運搬に与っているらしい。

なお、ラン科のムヨウランやイチヤクソウ科のギンリョウソウなど、いくつかの種子植物は光合成色素を持たず、地下部の菌根に頼って生活している。これを、腐生植物という。菌根であるので、植物と菌類の共生と見ることもあるが、最近ではむしろ、植物が菌類を一方的に収奪している寄生とみなされている。かつてはネナシカズラなどと同じような生息基質への寄生と見て、土壌中の腐植質に寄生しているとして死物寄生という言葉もあった。最近の研究では、これらの植物が依存している菌類は主として他の植物と共生している菌根菌や植物病原菌、一部は木材腐朽菌であり、腐生植物は菌類を介して他の生きている植物や枯死植物から、間接的に栄養分を摂取していることが明らかになりつつある。イチヤクソウ科の植物は光合成をする種であっても栽培困難なものが多いが、これも菌類を介して周囲の菌根形成植物から栄養分を収奪して生活しているためである。そのため、外生菌根を形成した樹木とイチヤクソウ類を一緒に鉢植えにすると、長期間の栽培が可能であることが実証されている。
デッド トリーニ タンク ジョブ ドン カール スモッグ トレーパッ オール 豊の国 チョッパ ナビ男爵 チェリモヤ チロシン ジャーニー バラモン サイン えさん ミリメシ アカシア きんぱく リべリ サンサ シパール 時遊館 ティビティー シャクナゲ セーフ フューチ ナルシス スルピリド タウポ リンク デジカメ くんかく リラ リアクン ジェンダー ドラフト ユニコード モアレ ルナリア ドリル プーリ オルガ ライトバン サーチ霊芝 愛の技 セロット ミッド

昆虫と菌類との共生も知られている。アンブロシアビートルと総称されるキクイムシは菌類を運搬するためにマイカンギアと呼ばれる器官を持ち,自身が樹幹内に掘った孔道の内側に持ち込んだ菌類を繁殖させ、それを摂食している。菌類の側から見ると、こうした昆虫は菌類を生育に適した環境に運搬していることになり、菌類の分散に寄与していると考えられる。また,熱帯に住むハチ目のハキリアリと、シロアリ目の高等シロアリの一部は、巨大な巣を作り、その中に外部から植物片を運び込み、かみ砕いて「苗床」を作り、そこで菌類を「栽培」し、食料としている。

2009年03月12日

パルテノン神殿

パルテノン神殿(Parthenon)は、古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設されたアテナ神を祭る神殿。現在残る神殿はペルシャ戦争後に建設されたもので、長さ68.7m、幅30.6mの周柱式神殿。通例、処女神殿と訳されるが、古代ギリシア語では、パルテノスは一般的に若い娘を意味する。古典時代のギリシア建築の傑作のひとつ。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

アテネのアクロポリス神域の開闢は非常に古く、新石器時時代に遡る壁面、ミケーネ時代の城壁跡が発見されている。紀元前480年のクセルクセス1世による遠征で、それまでの神殿が略奪・破壊に遭ったため、執政官キモンは、それまであった神殿をそのまま再建することを指示し、カリクラテスが建設を委任された。彼らは、今日に至るまで残っている神域の南側の地盤を拡張し、正面幅23.4m、長さ66.3mの古パルテノンと同じ平面を持つ神殿を建設しようとした。

キモンが追放され、カリクラテスが解任されると、紀元前447年、再建はペイディアスとイクティノスに委任され、前者が彫刻を、後者が設計を担当した。既に建築途中の神殿を任された彼等は、旧パルテノンと同寸に加工された石材を用いることを余儀なくされたが、カリクラテスの設計した神殿の内陣ではフェイディアスによる神像を納めることができなかった。しかし、イクティノスは導き出される比例を綿密に計算し、正面の柱を6本から8本に、側面を16本から17本に拡張させることによって、現在の平面の設計を完成させた。

創建当時は、中央にフェイディアスが彫った巨大なアテナの黄金象牙像が安置され、様々な大理石の彫刻が破風や壁々を飾って絢爛を極めた。紀元前432年頃に建築されたが、建設の資金は、デロス同盟の資金が流用された。アクロポリス神域はその後も神殿が建設され、紀元前421年にはエレクテイオンの起工が行われ、紀元前420年にはペリクレスによって、アテネ・ニケ殿が建設された。

現在の地盤は正面幅30.9m、長さ69.5mで、柱の直径は1.9m、柱の高さは10.4mに及ぶ。

ローマ時代以降
アテナイがローマ帝国に支配されるようになっても基本的には変わらなかったが、ローマ帝国でキリスト教が公認。次いで国教となると、パルテノン神殿は生神女マリヤ(聖母マリア)に捧げられた大聖堂に改装され、正教会の教会として用いられた。1018年にはブルガリアを征服した東ローマ帝国の皇帝バシレイオス2世(在位:976年-1025年)が、ここで戦勝記念の聖体礼儀を行なったという記録が残っている。この頃は、まだ古代の壮麗な姿をほぼ残したままであったと思われる。
チャリティー ギアチェ ハンドカ ブートニア あらいそ ソフロニ 潮風の迷子 さらべつ マーキ キャンディ ジェット シャドウ ギガビット 花御所 クロサス インス 氷の炎 ブラフ バーター オサォー ヤッケ テール ファウスト サマー シンジュ ユーディ リニア サーチワキ ケース かしど トロンビン シービー ヨモギ サーチャ ビブラ オータム ギニア ダイス フリー プレカリ ノンポリ テトロン マハー あぜみち しゃりき マッスル プロビジ ビュライト ロードシ カの風

しかし、15世紀に東ローマ帝国を滅ぼしたイスラム教のオスマン帝国支配下では弾薬庫に転用され、そのためにヴェネツィア軍の砲撃を受けて大破してしまった。その後1800年代になって、大英博物館に彫刻の大部分が運ばれてしまった(エルギン・マーブル)。現在では返還運動が行われている。

建築様式
パルテノン神殿は、外部を囲む柱はドリス式オーダーだが、西側の後陣内部ではイオニア式オーダーの様式を取り入れている。それまでの方式では、一つの建築に様式を混在させることはなかった。神像の安置された内陣は、コの字型に上下2段のドリス式オーダーが配置され、アテナ神の格調高さを補強したが、これは今日では殆ど残っていない。

アクロポリス神域に残る神殿のうち、アテナ・ニケ神殿、エレクテイオンはイオニア式で、特にエレクテイオンは、イオニア式を用いた神殿の至宝といわれる。これらの神殿は、アクロポリス神域において、ドリス式のパルテノン神殿をより一層引き立てている。

2009年02月24日

フレーム問題(ふれーむもんだい)

フレーム問題(ふれーむもんだい)とは、人工知能における重要な難問の一つで、有限の情報処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題全てに対処することができないことを示すものである。

1969年、ジョン・マッカーシーとパトリック・ヘイズによって、Some Philosophical Problems from the Standpoint of Artificial Intelligence[1] の中で述べられたのが最初で、現在では、数多くの定式化がある。

現実世界で人工知能が、たとえば「マクドナルドでハンバーガーを買え」のような問題を解くことを要求されたとする。現実世界では無数の出来事が起きる可能性があるが、そのほとんどは当面の問題と関係ない。人工知能は起こりうる出来事の中から、「マクドナルドのハンバーガーを買う」に関連することだけを振るい分けて抽出し、それ以外の事柄に関して当面無視して思考しなければならない。全てを考慮すると無限の時間がかかってしまうからである。つまり、枠(フレーム)を作って、その枠の中だけで思考する。

だが、一つの可能性が当面の問題と関係するかどうかをどれだけ高速のコンピュータで評価しても、振るい分けをしなければならない可能性が無数にあるため、抽出する段階で無限の時間がかかってしまう。

これがフレーム問題である。

あらかじめフレームを複数定義しておき、状況に応じて適切なフレームを選択して使えば解決できるように思えるが、どのフレームを現在の状況に適用すべきか評価する時点で同じ問題が発生する。
オメガ みしょう リプロヘル ひらがね 神の手 マップ るりこん ウシュ とよのか ブランデー タイプ リンギット ストール スキット ダビデ ケトル アグリ リーマン カサブ ラリアット ブライ バーン レジオ シザ イリノイ 誠の旗 こりんき サンキライ ひすい えーがた オーロ マルチ ジルコン セコンド ラダーラ ハラル アシン リトラコ リバティ フリー ヘメロ シャチ モッズ ロータリ タォマ ザール ハウリン もちがせ 紅の水 ダン

フレーム問題の例
哲学者ダニエル・デネットがCognitive Wheels : The Frame Problem of AI[2]で示した例を挙げて説明する。

状況:洞窟の中に、ロボットを動かすバッテリーがあり、その上に時限爆弾が仕掛けられている。このままでは爆弾が爆発し、ロボットは動かなくなってしまうので、洞窟の中からバッテリーを取り出してこなくてはならない。ロボットは、「洞窟からバッテリーを取り出してくること」を指示された。

人工知能ロボット1号機R1は、うまくプログラムされていたため、洞窟に入って無事にバッテリーを取り出すことができた。しかし、1号機はバッテリーの上に爆弾が載っていることには気づいていたが、バッテリーを運ぶと爆弾も一緒に運び出してしまうことに気づかなかったため、洞窟から出た後に爆弾が爆発してしまった。これは、1号機が、バッテリーを取り出すという目的については理解していたが、それによって副次的に発生する事項(バッテリーを取り出すと爆弾も同時に運んでしまうこと)について理解していなかったのが原因である。

そこで、目的を遂行するにあたって副次的に発生する事項も考慮する人工知能ロボット2号機R1-D1 (D = deduce (演繹) ) を開発した。しかし、このロボットは、洞窟に入ってバッテリーの前に来たところで動作しなくなり、そのまま時限爆弾が作動してロボットは吹っ飛んでしまった。2号機は、バッテリーの前で「このバッテリーを動かすと上にのった爆弾は爆発しないかどうか」「バッテリーを動かす前に爆弾を移動させないといけないか」「爆弾を動かそうとすると、天井が落ちてきたりしないか」「爆弾に近づくと壁の色が変わったりしないか」などなど、副次的に発生しうるあらゆる事項を考え始めてしまい、無限に思考し続けてしまったのである。これは、副次的に発生しうる事項というのが無限大にあり、それら全てを考慮するには無限大の計算時間を必要とするからである。ただ、副次的に発生する事項といっても、「壁の色がかわったりしないか」などというのは、通常、考慮する必要がない。

そこで、目的を遂行するにあたって無関係な事項は考慮しないように改良した人工知能ロボット3号機R2-D1を開発した。しかし、このロボットは、洞窟に入る前に動作しなくなった。3号機は、洞窟に入る前に、目的と無関係な事項を全て洗い出そうとして、無限に思考し続けてしまったのである。これは、目的と無関係な事項というのも無限大にあるため、それら全てを考慮するには無限大の計算時間を必要とするからである。

斯様にR2-D2の実現は難しいのである。

フレーム問題への対処
フレーム問題が問題としているのは、考慮すべき空間が有限でない限り、無限の可能性について考えざるを得ないという点である(ただし、空間が有限でも、考慮すべき要素の組み合わせが爆発的に増加するので同じことである)。

自然界に発生した知性(人間の知性など)が、どのようにこのフレーム問題を解決しているかはまだ解明されていない。人間は実際にはフレーム問題を解決できておらず、フレーム問題にうまく対処しているかのように見えるだけだと唱える研究者もいる。この場合、どのように振舞わせれば、そう見せかけられるのかが研究の主題となる。このような、人工知能だけに限らず人間の知能にも起こり得るフレーム問題は、ジョン・マッカーシーらの提案したフレーム問題と区別して一般化フレーム問題と呼ばれている。

フレーム問題は、知能を記号操作のルールに還元してトップ・ダウン式に定義することから生じると主張する研究者もいる。そのような研究者は神経系を模倣したニューラルネットワークのような記号操作的でない知能によってフレーム問題を解決できると考えている。

人工知能の世界では、フレーム問題を回避するために、あらかじめ人工知能が扱う状況を限定して、有限の空間の中で推論する研究が行われることが多い。(例 : チェスの対戦用ロボットなど。)

2009年02月07日

日中共産党の関係

日中共産党の関係 (にっちゅうきょうさんとうのかんけい) では、日本共産党と中国共産党との関係について記述する。1966年には両党はイデオロギー的な対立を深め、1967年3月に発生した善隣学生会館事件によって完全に敵対関係になった。両党の関係は1998年まで修復されなかった。
ニンソウ フウラン ヒップ バビリン 竹の舞 しずくいし ヤッピ つばめ くりたけ クラー うたま ウシや ガーズ オーデエ タッチ じょうぼう モウセン セプタム パラセ スパイク フェロ くらし やさしい サブミッ コール スイマー フラン フマン スモー ちずい バスラ ほこたし クロムダ プレパラー つるむ レターイン ストーン イルミネ スピンタ イルマン ルリナ テスト ばなな メリー コリン パーベ リッチ かずら ドライト オリジ

コミンテルンの配下で成立し、世界共産党の日本支部と中国支部という位置づけだった日中の共産党の間に独自の関係が成立するのは、第二次世界大戦後かなり遅くなってからである。少なくとも1950年代後半に中ソの共産党の対立が顕在化するまでは、日中共産党の関係がそれ自体として問題になる余地は存在していなかったといえる。第二次世界大戦後、ソ連、東欧諸国、中華人民共和国などの「共産圏」諸国が形成され、アメリカを中心とする「自由主義」諸国との冷戦構造に発展したが、1950年代後半には「共産圏」の両大国であるソ連と中国の間に深刻な対立があることが明らかになり、中ソ論争へと発展していった。日本共産党は当初、ソ連共産党を修正主義として批判する中国共産党と同じような立場にいたが、1966年にはアメリカのベトナム侵略戦争に反対する統一戦争の形成方法をめぐって中国共産党と対立関係になった。

宮本顕治と毛沢東と会談の決裂
1966年3月28日、訪中していた日本共産党代表団(団長:宮本顕治書記長(当時))と中国共産党主席毛沢東の上海における会談が、中国側の申し出により急遽設定された。宮本顕治の手記[1]によれば、3月始めに北京で中国側と会談し、「双方の主張に共通点もあったが、不一致点も大きかった」ため、双方で「共同声明やコミュニケを出そうという発意はなされず」次の訪問地の北朝鮮に向かった。平壌で共同声明を発表した後、北京を通って帰国するが、「北京はただ通過するだけで、そのまま帰国する予定であった」。しかし、中国側から共同コミュニケを発表するよう提案されたので、それに応じたという。
宮本の手記によれば、双方の人員でコミュニケを作成する小委員会を作成し、意見の異なるところを避けて文面をまとめた。つまり、日本共産党は理論的にはソ連共産党を修正主義として批判していたが、ベトナム支援の統一戦線にはソ連も含める必要があると主張し、共同コミュニケではソ連を名指しで批判することには応じなかったということになる。日共側の認識では、これですべての手続きは終わって、上海にいる毛沢東との最終的な会談を儀式的に経た後にコミュニケを発表することになるというものであった。しかし、上海での毛沢東との会談で、毛沢東は、

私はあのコミュニケを読んでたいへん不愉快だった。これは主題がはっきりしない。現代修正主義とあるが、だれを批判しているのかわからない。中国共産党も日本共産党もソ連の修正主義を公然と批判しているのだから、はっきり名指しで書かなければ駄目だ。このコミュニケは妥協的だ。私はどうしてもいわなくてはならない。このコミュニケは勇気がなく、軟弱で、無力であるといい、文面の大幅な修正を求め、これに日共側が応じなかったために、コミュニケは発表されないことになったという。
毛は最後にこういったと言う。

私もこれ以上話すことはない。ただ一言二言ある。あなた方の態度はソ連共産党指導部に歓迎されるだろう。これが一言目。私たちは歓迎できない。これが二言目。コミュニケは発表できない。あなたたちの方でコミュニケを出すことを要求しないのに、われわれが出そうといったのはまちがいだった

代表団は広州に移動したが、大規模な歓迎会はすべて中止された。
対立の原因
日本共産党の主張によると、毛沢東の指導する中国共産党が文化大革命という「誤った」政策に走り、中国が自ら孤立の道を選んだことが対立の原因であるというような解釈をしているが、1960年代の中国はアメリカなどの「自由主義」諸国の深刻な威嚇と封じ込め政策によって孤立しており、ユーゴスラビア、ハンガリーあるいはチェコなどに対する強圧的なソ連の政策に見られるように、ソ連からの圧迫にも対抗する必要があり、すでに危機的な状況にあったといえる。日本共産党は日本の戦後民主主義を受け入れて合法政党の道を歩みながら、日本国内では少数派だが、世界的に統一された「社会主義陣営」が存在することによって国内の地位を高めることができるという利害関係上、各国の共産党の相互の「平等」と相互批判が可能な環境の中で社会主義陣営が存在するような状況が望ましかったと考えられる。しかし、朝鮮戦争やベトナム戦争でアメリカの直接的な威嚇に直面し、長く国境を接するソ連との対立を抱えている中国共産党にとって、中ソ対立はそのような理論上の対立ではなく、国家の存立をかけた深刻な問題であった。中国共産党が日本共産党に、そのような危機感を共有する同志としての行動を望む場合、合法政党に徹しようとしていた日本共産党との間の関係は必然的に対立関係にいたらざるを得なかったと考えられる。とはいえ、毛沢東と宮本顕治の会談の時期に中国共産党が日本共産党に武装闘争を強要したというような俗説もあるが、実際にはそのような露骨な発言があったということは考えにくく、それを裏付ける文献も存在しない。そのような表面的な口論がなくとも、両党の対立が発生する要因は強く存在していたのである。

対立時期の経過
この後中国共産党は、「日本共産党指導部を打倒する」という方針を出し、自らの影響下にある日本共産党員に対して「日本共産党を打倒して自分たちが新しい党をつくれ」という指令を出したと不破哲三など日本共産党側は主張する。その後の動きは以下のようになる。

1966年9月 日本共産党山口県委員会の一部が脱党し以降「日本共産党 (左派)」を名乗る。以降、一部の党組織で脱党が繰り返され、「日本労働党」、「日本共産党 (マルクス・レーニン主義)」(後の労働者共産党)が分派した。
1966年10月 日本共産党は北京留学中の党員数名を除名。以降、北京で日本共産党員(元・現)間の暴力事件が多発
1966年10月 毛を支持する党中央委員西沢隆二(筆名ぬやまひろし。徳田球一の娘婿)を除名 
1966年10月25日 日中友好協会が、代々木派・反代々木派(中国支持派)に分裂
以降、大衆団体の日本アジア・アフリカ連帯委員会、日本ジャーナリスト会議、新日本婦人の会も分裂。

1967年1月〜 日本共産党が中国共産党と国内の「毛沢東一派」を名指しで批判
1967年2月28日から3月2日にかけて、東京で善隣学生会館(現:日中友好会館)事件が発生し、日本共産党側の日中友好協会を支援する日本共産党のゲバルト部隊がヘルメットと棍棒などで武装して在日中国人学生らに暴行し、在日中国人と支援の日本人に7名以上の重傷者が出た。ただし、日本共産党サイドは、加害者は自分たちではなく、中国人留学生たちであると主張している。
1967年8月 在北京の日本共産党駐在員と、赤旗特派員に対し、中国が集団暴行
1967年8月 歌舞伎役者河原崎長十郎が大衆団体の劇団前進座から事実上の決裂。
 このころまでに、中島健蔵(仏文学者)、井上清(歴史学)、安藤彦太郎(中国研究)、新島淳良(中国研究)らも日本共産党から脱党

不破はこう述懐する。「わが党の党員で、当時、息子さんや娘さんが留学などで中国にいたりしたため、対立したまま家族が別れ別れになり、三十年間、親子の関係を断絶している同志も少なくありません」「事件が起こるまで、私たちに連帯していた人たちの中には、中国側の干渉できずなが切れ、いまだに日本の平和・民主運動の中で立場を失っている人びとが数多くいます。」

関係修復
日中両共産党の党間関係は中国共産党側からの提案により1998年に修復した。このときの合意文書[2]では、中国共産党が文化大革命時の日本共産党への干渉について非を認めた。しかし、この関係修復をもって1967年の中国共産党の政策が誤りであり、同年の日本共産党の政策が正しかったなどと考えることはできない。1967年における両共産党の対立は、戦後の「国際共産主義運動」での、「各国の前衛党は一国にひとつであるべきで、その党は国際的に連帯すべきである」という原則が完全には解消されていない状態での理論的な対立を含んでいた。日本共産党から少数の人々が分裂し、日本共産党(左派)というような組織を作ることに対し、日本共産党が激しく中国共産党を非難したことについては、そのような革命の前衛の正統性を争うという側面を見なければ全く解釈することも説明することもできない。

両党の関係が修復された1998年は、すでにソ連が崩壊した後であり、中国は国連に復帰し、文化大革命を解消し、社会主義市場経済といった理論でソ連型社会主義から完全に脱皮していたが、日本共産党もマルクス・レーニン主義の基本理念に対する根本的な解釈の変更を進行させ、あらゆる意味で資本主義国内の議会制民主主義政党に変貌していた。つまり、両党は国際社会に復帰し、どのような政党とも交流を持つ中国の政権政党と、日本の一革新政党としての党間の交流関係を確立したのであり、1966年当時の論争や政策の対立の理論的あるいは政治的な決着をつける場はすでに完全に失われていたし、そのような決着の必要性もなくなっていたのである。

歴史的な評価
日本共産党は1967年以降30年間にわたり、中国共産党および中国政府との正常な関係を築くことができなかったが、この時期は中華人民共和国が国際社会に復帰し、日中国交が回復されたという重大な転機に当たっていた。日本共産党は日中友好という大きな政治課題について、重要な転換点でアクターとして加わることができなかった。結局この課題は、社会党、公明党、自民党の一部、あるいは日本共産党が「盲従分子」とか「トロツキスト」などと言って非難していた過激な少数の政治勢力などの人々の手に担われることになった。

2009年01月23日

タイゴン(Tigon)

タイゴン(Tigon)(またはティグロン)とは、父がトラで母がライオンの雑種動物である。 タイゴンとは逆に父がライオンで母がトラの場合はライガー(Liger)と呼ばれる。

現在、タイゴンはライガーよりも一般に知られていないが、19世紀の終わりから20世紀にかけてはライガーよりも有名であった。
ジゴロ ちなアク スローモー ハネウェル トップ ション ウオッチ シンシ 検索ノブ セザンヌ ビーボーイ カーペット フォルダー ランサス ブラウィン ほしゃWE はないずみ セイレー ノンカロ もののふ リターン チロキシ メークイン ワイルド 検索丸玉 オーバー シップブ じゃんけん フュー サブレ とくとう ジャカ ミドル タッチ ガイド レバレ ハイテン メーンス ミヤマキ ごゆう カンマキ ヘーベ ナリー リステ オハイオ シンテニー ミント ダンヒ ピント スクワット

タイゴンには両親どちらの特徴も見られることがあり、ライオンの母に由来する斑紋(ライオンの成獣には斑紋は無いが斑紋の遺伝子はあり、幼獣の時に現れる)を持つこともあれば、トラの父に由来する縞柄を持つこともある。 タイゴンの雄の鬣(たてがみ)はライオンの雄のそれよりも短くて目立たず、むしろトラの雄のひだ襟に近いものである。

タイゴンがライガーに比べあまり知られていない理由の一つは、トラの雄がライオンの雌の求愛行動を滅多に発見できないがために彼女の繁殖したいというサインを見逃してしまうからだと考えられている。 しかしライオンの雌は求愛には積極的であるため、現在のタイゴンの知名度の低さはむしろ、タイゴンがライガーと違って平凡な大きさであり、目新しさがないことによるようである。 しかし一世紀前ほどにはタイゴンは明らかにライガーよりもよく知られた動物であった。 ジェラルド・アイルズ(Gerald Iles)は著書At Home In The Zoo(1961)の中で、マンチェスターのベルヴュー動物園(Belle Vue Zoo)では3頭のタイゴンを見ることができたが、ライガーを見たことはないと書いている。 また、現在も中国で何頭かのタイゴンが飼育されている。

タイゴンの名称は1980年代、日本のスポーツ用品メーカーアシックスがスポーツシューズの商品名に使用したことがある。

繁殖
グッギィスベルク(Guggisberg)はWild Cats Of The World(1975)の中で次のように書いている。ライガーやタイゴンには長い間繁殖能力が無いと考えられてきたが、1943年にミュンヘンのヘラブルン動物園(Hellabrunn Zoo)でライオンと”島の”トラの間に生まれた15歳の交雑種をライオンと交配させることに成功した。 その雌の幼獣は体が弱かったものの、成体まで成長した。

雌のタイゴンが一般的に繁殖力を持つのに対し、雄は不妊である。 雌のみが繁殖可能なことから、ライガーからタイゴンが生まれたり、その逆のことはおこらない。

またインドのアリポア動物園(Alipore Zoo)では、1971年に生まれたルドラーニ(Rudhrani)というタイゴンと、デバブラータ(Debabrata)というインドライオンの交配に成功した。 その珍しい2世代目の雑種はライタイゴン(li-tigon)と呼ばれる。ルドラーニは生涯で7頭のライタイゴンを産んだ。 このうち何頭かの個体は驚異的な大きさに成長した。クバナカーン(Cubanacan)というライタイゴン(1991年没)は最低でも体重363kg、体高は肩までの高さが1.32m、そして全長は3.5mであった。

同じように、タイタイゴン(ti-tigon)についての報告もある。これはタイゴンの雌とトラの雄の交配による種である。 タイタイゴンは金色のトラに似ているが、体の模様は少ない。 1978年に生まれた雌のタイゴン、ノエル(Noelle)は、飼育者に不妊だと判断されチベットのシャンバラ自然保護区でアントン(Anton)という雄のアムールトラと同じ柵の中で暮らしていた。 1983年、ノエルはナサニエル(Nathaniel)というタイタイゴンを産んだ。ナサニエルは4分の3がトラであったため、ノエルよりも濃い縞模様を持ち、トラとライオンの混ざった声を持つ母よりもよりトラらしく鳴き、ライオンの血は4分の1しか入っていなかったため、鬣は生えてこなかった。そしてナサニエルは8、9歳のとき癌で死亡した。 ノエルもその後すぐに癌にかかり死亡した。

2009年01月16日

壬申の乱(じんしんのらん)

バイオ ハノイ サイト宇宙 セット リーテール たましぎ みたか ニューロ れっど ファンタ アカシデ ひびき ちゅう フォルテ ターミ アイテム セルラ ハイブリ バロッ ファザ 紫キャベツ ライフ ナビキュー 仲よし ネリネ ピープ モデル 龍馬太鼓 きんさ ダウン スリル シームレス スピーチ ドクゼ オフィス ナビデモ スルー シアトル マツム ルーム リアクター デイキ ロースラ モトロ オブジ サンタ マキシ リボソーム デパチ クンミン

壬申の乱(じんしんのらん)とは天武天皇元年(672年)に起きた日本古代最大の内乱であり、天智天皇の太子・大友皇子(おおとものみこ、明治3年(1870年)、弘文天皇の称号を追号)に対し皇弟・大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱であった。天武天皇元年は干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたるためこれを壬申の乱と呼んでいる。

なお「天皇位をめぐる戦乱」であるため、戦前は旧制高等学校以上に進学しないとこの乱については教育されなかった。
660年代後半、都を近江宮へ移していた天智天皇は同母弟の大海人皇子を皇太子(日本書紀には「皇太弟」とある。また、大海人皇子の立太子そのものを日本書紀の創作とする説もある)に立てていたが天智天皇10年10月17日(671年11月26日)、自身の皇子である大友皇子を太政大臣につけて後継とする意思をみせ始めた。その後、天智天皇は病に臥せる。大海人皇子は大友皇子を皇太子として推挙し自ら出家を申し出、吉野宮(奈良県吉野)に下った。天智天皇は大海人皇子の申し出を受け入れた。

12月3日(672年1月10日)、近江宮において天智天皇が46歳で没する。大友皇子が後を継ぐが、年はまだ24歳に過ぎなかった。大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月27日)に吉野を出立し伊賀、伊勢国を経由して美濃に逃れた。美濃では大海人皇子の指示を受けて多品治が既に兵を興しており、不破の道を封鎖した。これにより皇子は東海道、東山道の諸国から兵を動員することができるようになった。美濃に入り、東国からの兵力を集めた大海人皇子は7月2日(8月3日)に軍勢を二手にわけて大和と近江の二方面に送り出した。

近江朝廷の大友皇子側は東国と吉備、筑紫(九州)に兵力動員を命じる使者を派遣したが、東国の使者は大海人皇子側の部隊に阻まれ吉備と筑紫では現地の総領を動かすことができなかった。それでも、近い諸国から兵力を集めることができた。

大和では大海人皇子が去ったあと、近江朝が倭京(飛鳥の古い都)に兵を集めていたが大伴吹負が挙兵してその部隊の指揮権を奪取した。吹負はこのあと西と北から来襲する近江朝の軍と激戦を繰り広げた。この方面では近江朝の方が優勢で吹負の軍は度々敗走したが、吹負は繰り返し軍を再結集して敵を撃退した。やがて紀阿閉麻呂が指揮する美濃からの援軍が到着して吹負の窮境を救った。

近江朝の軍は美濃にも向かったが、指導部の足並みの乱れから前進が滞った。村国男依らに率いられて直進した大海人皇子側の部隊は7月7日(8月8日)に息長の横河で戦端を開き、以後連戦連勝して進撃を続けた。7月22日(8月23日)に瀬田橋の戦い(滋賀県大津市唐橋町)で近江朝廷軍が大敗すると、翌7月23日(8月24日)に大友皇子が自決し、乱は収束した。翌天武天皇2年(673年)2月、大海人皇子は飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)を造って即位した。

近江朝廷が滅び、再び都は飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に移されることになった。

また論功行賞と秩序回復のため新たな制度の構築、すなわち服制の改定、八色の姓(やくさのかばね)の制定、冠位制度の改定などが行われた。天武天皇は天智天皇よりもさらに中央集権制を進めていったのである。

乱の原因
壬申の乱の原因として、いくつかの説が挙げられている。

天智天皇は即位以前の天智天皇2年(663年)に百済の復興を企図して朝鮮半島へ出兵して新羅・唐連合軍と戦うことになったが、白村江の戦いでの大敗により百済復興戦争は大失敗に終わった。このため天智天皇は国防施設を玄界灘や瀬戸内海の沿岸に築くとともに百済難民を東国へ移住させ、都を奈良盆地の飛鳥から琵琶湖南端の近江宮へ移した。また、国内の政治改革も急進的に行われた。しかしこれらの動きは豪族や民衆に新たな負担を与えることとなり、少なくない不満を生んだと考えられている。近江宮遷都の際には火災が多発しており、遷都に対する豪族・民衆の不満の現れだとされている。さらに、天智の改革においては地方豪族(特に東国)を軽視したために地方豪族の間で不平が高まったと見られている。これらの不満の高まりが壬申の乱の背景となっていった。

また、飛鳥時代に多発した皇位継承紛争の1つと見る説もある。当時、律令制の導入を目指していた天智天皇は旧来の同母兄弟間での皇位継承の慣例に代わって唐にならった嫡子相続制(すなわち大友皇子(弘文天皇)への継承)の導入を目指しており、大海人皇子の不満を高めていった。さらに大海人皇子は有能な政治家であったらしく、これらを背景として大海人皇子の皇位継承を支持する勢力が形成され乱の発生へつながっていったとしている。これらを踏まえて、前述した天智改革への不満の醸成が壬申の乱の下地を作り天智以後の皇位継承の争いが乱発生の契機となったとする説が有力となっている。

また、天智天皇と大海人皇子の不和関係に原因を求める説もある。江戸時代の伴信友は『万葉集』に収録されている額田王(女性)の和歌の内容から、額田王をめぐる争いが天智・天武間の不和の遠因ではないかと推測している。