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呉乞買

呉乞買(うきつばい、女真音:ウチマイ)は金の第2代皇帝(在位1123年 - 1135年)。太祖阿骨打の同母弟。長兄に烏雅束(ウヤス)、伯父に劾者(ヘテェ、劾里鉢の長兄、烏古廼の庶長子)、高宗・盈歌(インコ)は季父(末の叔父)に当たるという。嫡子の阿魯(あろ、女真音:アル、中国名は宗磐・宗本)ら数名の息子がいる。
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兄の太祖が存命中はその補佐に当たり、兄の死後に第2代皇帝として即位した。即位後、兄が北宋と結んだ盟約に従って遼を攻撃し、1125年に最後の皇帝天祚帝を捕らえてその命脈を絶ち、内モンゴルを支配下に置いた。だが、彼は寛大で人格者だった兄と違い、勇猛果敢で果断や実行力に富んだ性格のために、燕雲十六州の奪還を目指す宋軍が燕雲地方に駐留する金軍を牽制する動きの情報を知った呉乞買は激怒した。1126年、逸早く直ちに北宋との戦端を開いて首都開封を包囲した。この戦役は宋軍がよく持ち堪えたため呉乞買は宋の欽宗と講和を結び、引き揚げた。だが、宋が再び盟約で約束されていた歳貢も滞ったため1127年に再び宋を攻めて開封を陥落させ、欽宗とその父で上皇の徽宗を北へと連れ去って北宋を滅ぼした。

外モンゴルに逃れた遼の残存勢力耶律大石が中央アジアに逃れた後は、モンゴル高原に対しても勢力を伸ばし、隣接する西夏や高麗に対しても圧力をかけて服属させた。太宗の時代に金は版図を急速に拡大し、国力を著しく増強させた。

しかし、いまだ部族制の原理がよく残った女真社会において皇帝としての呉乞買の権力基盤は完全なものではなく、子の阿魯ら自分の血筋への世襲は同族の長老らの猛反対を受けたので、止むなく兄の太祖の嫡孫に当たる熙宗に皇位を譲った。

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2009年05月31日 10:14に投稿されたエントリーのページです。

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